・大学時代に塾のアンケート調査で人気講師ダントツNO.1となりました。
・学内の研究会でプロジェクトリーダーを務め、全国大会で学生敢闘賞を受賞しました。
・1992年度JSAE学生部門で功労賞を受賞しました。
・アメリカをレンタカーで旅行中、目の前で大クラッシュを目撃しました。
・大学院進学時に、故伊藤英覚先生(東北大名誉教授)から「ぜひ研究室に来てほしい!」と誘われました。
・1994年FISITA国際会議の学生日本代表に選ばれ、北京へ派遣されました。
・後輩たちから、「プロフェッサー」と呼ばれるようになりました。
・故一色尚次先生(東京工大名誉教授)から海外視察に誘われました。
・アルバイト先の塾長から「うちで働かないか!」と誘われました。
・社会人となって、東京電力柏崎刈羽原子力発電所7号機に関わっておりました。
なぜか、上司から「大谷先生!」と呼ばれていました。
・自分は教育に身を投じるべきだと自覚して、プロの塾講師に転職しました。
・長野市の進学塾に採用されました。
・塾内で、中3の総合テスト成績評価法を確立しました。
・塾長宅でα波を測定していただいた際、レベルメーターが振り切れました。
・FAX学習支援システム,5科特訓支援システムを、寝る間を惜しんで構築しました。
・塾長から「人の3倍働いている!」とお褒めの言葉をいただきました。
・塾長(代理)を担当することになりました。
・「大谷先生にお願いしたい」という保護者からの依頼を多数いただきました。
・先輩講師から「ベテラン」と認められました。
・塾講師仲間から「師匠!」と呼ばれるようになりました。
・お世話になっている司法書士の先生から、「君の天職だ!」とお墨付きをいただきました。
・勤務していた進学塾を退職して独立、プロ家庭教師となりました。 ・大手の個別指導塾で、講師研修会の模擬授業を頼まれました。 講師陣から「レベルが違う!真似できない!」と絶賛されました。 ・大手の個別指導塾講師からも「師匠!」と呼ばれるようになりました。 ・大手の個別指導塾から「教室長になってもらえないか?」と誘われました。 ・上田市の方々から学習指導や学習相談の問い合わせが相次ぎました。 ・「大谷先生みたいな方は上田市の塾にはいない」という声に応え、大谷塾を開設しました。 |